神達彩花ちゃんが亡くなった件
なにはともあれご冥福をお祈りしたい。
ご両親および関係者の方々にとっては、大きな悲しみであることは間違いない。
さて、現在の日本国内の乳幼児死亡率を考えてみれば、年間に約4千人の乳幼児が亡くなっている。
1日あたりで換算すれば毎日10人が亡くなっていることになる。
数値の上ではどのような死も平等だ。
神達彩花ちゃんの死も、この中の単なる一人に過ぎない。
さて、このような数値を考えた上で、海外で移植を受けて延命するために
1億円以上のコストをかけることについては議論の余地があるだろう。
この場合は2つの論点があると思う。
1つは「海外での移植の是非」であり、もう1つは「移植による延命の是非」である。
自分の子供が今回の事例のような病気であったならば、コストを度外視してでも移植を願うだろう。それが親というものだ。
しかし移植を受けることについては、「自分の子供の命を助けるために、他人の子供の命が失われることを願う」という、矛盾したことを祈らなければならない。非常に心が痛む。
ある子供がドナーとして適合したとする。その子供がなんらかの事故に遭ったとする。その子が死ななければ自分の子供は助からないのだ。
このような願いのために海外にまで出て行く覚悟が自分にあるのだろうか...。
それはそのときにならないと分からない。
毎年4千人の乳幼児の命が失われるのならば、その命のカケラをつないで他の子供が延命できることは美談だけど、しかしドナーとして適合する子供の死を看取る親は、その亡くなった子供をずっと手の中に抱いていることも許されない。